− 江戸末期の宝善院と平塚宿 −

 天保年間(約180年前)の平塚宿戸数408戸(大磯1026戸・小田原1530戸)、当時の平塚宿の人口2114人(男1106人・女1008人)、旅館50件、東西南北約1.5kmであった。宝善院は街道の中心に当たる。(赤○位置が宝善院。クリックで拡大写真表示。)
 徳川幕府製作・東海道分間延絵図(ぶんけんのべえず)より。原本所蔵は東京逓信博物館(ていしんはくぶつかん)


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