− 鶴岡八幡宮 −

 鎌倉鶴岡八幡宮は、現在の数倍の規模の寺社で、正式名称は、「鶴岡八幡宮寺」と言う寺でした。明治3年(1870)5月、寺からの届け出で、薬師堂、護摩堂、大塔、経堂、仁王門を取り壊しました。こうして、鎌倉時代から続く「鶴岡八幡宮寺」は廃絶しました。江戸期に描かれた「東海道名所図絵」に見られるように薬師堂、大塔などを擁していた大寺でした。 明治維新前には、方5間の大塔、若宮社、天神社、八幡社、大神宮、薬師堂、観音堂 法華堂、弁天堂、鐘楼、食堂、宿坊16坊等を擁する大八幡宮寺でしたが、 明治3年の廃仏毀釈では大塔を始め主だった仏堂は全て破壊され、それだけでなく仏教に関係するもの、仏像、仏具、什宝、経典なども焼かれたり、持ち出されたり散佚しました。わずかに残った仏堂も明治8年の火事で焼失してしまいました。 廃仏毀釈による破壊で什宝は散佚してしまいました。以上の出来事は、鶴岡八幡宮だけに起きたのではなく日本中の寺や神社で起きました。破壊を免れたもののどれだけが外国のコレクターや美術館に買われたかわかりません。浮世絵や国宝級仏像のように海外に重要な美術品があるという事態になっています。

宝善院 山門