曲阜師範大学音楽学部での「歓迎レセプション」記念講演から
― 中国民族音楽の歴史について ―
1996.6.20
講演 曲阜師範大学音楽学部教授
馬東風 先生
通訳 魏 廣平
抄文 加藤 宥英

 中国の民間音楽は、世界文化史の中においても重要なものであると思います。中国は広く、歴史も悠久です。中国は五十六の民族からなり、それぞれの民族は特色を持っており、したがって中国では、一つの国の中にいろいろな民族音楽が保存されています。
 最近の考古学の成果により、新石器時代からの音楽の記録が残されています。例えば一番古い楽器としては「」(イン)という楽器があります。
 また、河南省で発見された骨の笛は、約六千年前の楽器といわれており、今もその骨の笛は完全な音楽を演奏できます。
 四千年から五千年前の、原始的な女性の独唱である、「塗山氏妾歌」、「弾歌」などは今日の研究によれば、記録に残る最古の民歌・愛情の歌の曲名であるといわれています。
 中国の黄帝時代になって、総合的、芸術的表現を持った音楽がでてきました。例えば舞踊です。「雲門」「韶楽(しょうがく)」です。論語の中にもありますが、孔子が「斎」という国で「韶」を聞いて大好きな肉の味を三ヶ月も忘れてしまったとあります。「韶」とい
う音楽の魅力について、論語にもこのようにあります。音楽はこの時代から「詩、歌、舞」からなるようなり、「詩」は文学、「歌、舞」は音楽そのもので、この三種から中国古代音楽はできていました。
 このような音楽はまず宮廷音楽から始まりました。中国史に有名な孔子の「儒学」においても、音楽は大変重要視されていました。孔子は中国の偉大な思想家だけでなく、古代の偉大な音楽家でもあったといえましょう。孔子の「六芸」の中でも重要な内容として、音楽は教育されました。「六芸」の中でも、第二位において重要視されています。今日でも孔子の音楽教育思想は、大きな影響を持っています。現代中国人の生活の中においても、芸術の中においても、孔子の思想は今でも大きな影響を持っているわけです。
 孔子は私立教育を始めるとともに、「音楽批評」というものも孔子から始まったものです。周代、音楽は、役所の中に一つの仕事としておかれましたが、「大可楽」がそれです。
 驚くべきことに、中国では新石器時代の末期から、音楽の専門学校が始まっています。中国は音楽教育においても、世界で最も早く開かれたといえます。新石器時代の末期、音楽の学問は、「成鉛V楽」(せいいんのがく)といわれていました。「成」はモラル、「殴=韻・音楽の意味。音楽とモラルが一緒になった学問ということです。今でも中国の音楽教育には、「礼学思想」があります。音楽教育はまずモラル・礼から始まり、その次に音楽の表現となるのです。今でもわが大学ではそのように教育しております。
 孔子は音楽批評においても先駆者であると申しましたが、論語の中に「韶楽」を聞いて大好きな肉の味を三ヶ月も忘れ、「武楽」を聞いたら邪悪な気持ちになるといわれていますが、孔子の音楽批評によれば「韶楽」は自然なもので、「武楽」は「美に至っているが善とならない」とあります。
 出土文物によると、周代には七十数種類の楽器があり、楽器は作る材料により、八種類に分けられていました。このことから中国の民族楽器は「八分の器」といわれています。
 最近中国の湖北省で発見されました中国戦国時代の楽器「編鐘編磬」は、「世界第八の奇跡」とさえいわれています。「編鐘」は六五ケあり、今の十二律も完全に表現しております。十二律は周代に始まり、五声の音階もこの時代に始まったものであります。周代になって十二律・五声音階・旋官転調の三つの音楽理論ができあがり、この時代、中国の音楽は相当高いレベルとなりました。今から三千年前の周代、中国は世界各国の中でも、音楽理論についても先進国であったといえましょう。
 二千年前の戦国時代になりますと、「鄭」・「衛」などの民間音楽もでてきます。孔子は弟子を連れて詩経を説きましたが、実は、「詩経」も文章というよりは「音楽」であったといえます。今日、残されている「詩経」は三百五編からできていますが、「詩経三百五編は弦歌である、歌である」といわれています。「詩経」は現在では、文学として扱われていますが、当時は一つ一つが「歌」であり、「詩歌総集」であったといえましょう。ですから、世界文学史においても「詩経」は最初の音楽テキストであるという評価が多いわけです。
 「戦国時代」中国の音楽は、世界各国の音楽に大きな影響をもたらしました。その中でも最近発見された有名な墳墓で、戦国時代の「曹候乙墓」から発見された「編鐘・編磬」は有名なものです。
 「秦・漢時代」になりますと、音楽表現は「楽府」の役割となり、「楽府」は音楽について政府機関でありました。「楽府」が行政的に音楽に干渉することで、中国の音楽教育は促進されたのです。
 次の、「魏」、「秦」、「六朝時代」は中国の歴史上、動乱の時代でありました。民族戦争、諸侯の戦い、王朝の交替の時代でありました。具体的な音楽の立場からいえば、この時代、音楽は破壊されました。しかし別の角度から見ると、戦争があって、そのため、いろいろな民族の交流がありました。「南北六朝時代」は戦乱が多かったのですが、いろいろな民族が交流し、中国の封建文化の頂点としての、「唐文化」の基礎がこの時代に作られたのです。
 「唐代」の音楽は中国古代音楽の中でも最も輝く時代でありました。唐代の文化は封建時代の頂点であり、その前の時代の各種の民族の文化を基礎に、「唐代文化」が出現したのです。この時代の「長安」は、文字どおり世界音楽の交流について、その中心地であったといえましょう。さきほど松下先生のスピーチの中でも各国の文化交流について話がありましたが、当時の長安には世界各国からの学者が集まり、長安の音楽は世界最高のレベルにあったといえます。近代ヨーロッパの「ウィーン」のように、長安は世界音楽の中心地であったといえます。
 唐代に音楽が盛んになったもう一つの理由は、唐代の「音楽皇帝」として有名な「玄宗皇帝」のせいでもあったともいえます。彼には大きな役割が合ったと思います。唐・玄宗はそれだけでも有名な歴史的人物ですが、彼は偉大な音楽家であったとも言えましょう。自ら、長安の大学で音楽の講義をするほどの学識をもっていました。彼が講義をした所が「梨園」ですが、弟子は三千人ともいわれ、卒業生は「皇帝の梨園の弟子」と称賛されました。
 唐代を過ぎると中国の民間音楽はその勢をなくし、宗、元となると地方演劇が盛となりました。いわゆる「雑劇」です。

 ■ 中国の民族楽器について
 中国の民族楽器は、演奏方法により三種類に分けられます。「弦」、「吹」、「打」の三種類です。
 歴史上使われた楽器でも、現在その演奏方法がわからなくなっているものも多いと思います。中国の古代楽器の代表的、例としては、
」(中国音スン)(右写真参照)
これは陶器の楽器で、最初の発見は山西省でありました。最初に発見されたものは、形は右の写真のような形で、穴がなかった。穴のないのが、一番古い形です。音は高低の二音です。その次に発見された「」は、穴が二ヶ所ありました。この二つを同時に演奏すると、五音階が表現できました。

「骨哨」骨で作られた笛。
「竿」(う)今日も使われている楽器。
」笛のような形をしているが、真ん中の穴に唇を当てて吹く。
 これらの楽器は五音階の楽器です。
 (シュク)木魚の高音のような音で、音楽の合図を取る。
 私自身は、中国の民族楽器の代表は「琴」であると思います。琴は音は小さいが、音楽の表現力は豊かで、中国人の哲学を、楽器の中に見つけられるものだと思います。琴の中でも最も表現力が豊かなものは、「筝」であろうと思います。
 正直申しまして、今日の中国の民族音楽の中には多くの楽器が使われているが、中国の楽器でないものも多くあります。今日民族楽器といわれているものは、二千五百種類もあり、これらの多くは少数民族の楽器です。
 簡単に中国の民族楽器について紹介しましたので、これより幾つかの楽器の演奏を学生にやってもらいましょう。(この後、同大学学生の歓迎演奏が行われた)
 本稿も含め中国側の原稿は、旅行中のテープ取材であり、事務局の責任で、会報用に文章化したものです。中国側の校閲は受けていませんので、誤字、誤記はご寛恕ください。間違いがありましたら発行人までご連絡くだされば幸いです)