― 事務局から ―

 ■ 加藤宥雄大僧正遷化
 今回の「東寺・声明CD全集」刊行の生みの親、加藤宥雄大僧正が、1月8日92歳で遷化されました。先生は年末近くまでお元気でいらしたのですが、正月早々から急にお体の不具合をうったえられ、ご親類の病院に入院加療中でした。ご最後は遺弟への伝言もしっかりと伝えられ、静かに永眠されたそうです。加藤僧正は多くの弟子に声明をはじめ事相、教相の伝授をなされるかたわら、自坊・最明寺の本堂脇の間に、録音スタジオを作り、専門の録音技師を招いて数年がかりで、ご自分の声明すべてを録音されました。これらの費用は全て、加藤先生の自費で行われたものです。失礼ですが、生涯、学問に明け暮れた先生のご自坊は、とても肉山とは申しにくく、これらの経費負担は先生の懐を多いに侵食したのであろうと拝察します。今回の「東寺・声明CD全集」の刊行は、先生のこのような先駆的事業があったればこそ、出来上がったものといってよいと思います。刊行会は先生のこのようなご意志を無駄にすることなく、先生が伝えられた声明を、東アジア全域の中で考察し、特にこのことについて、日中両国の研究者のお役に立てれば、先生のご意志と、ご恩の万分の一でもお返しできるかと、存じております。またこのことに就いて、遺弟で最明寺住職の加藤宥英師のご協力をいただいていることに、先生もあの世で苦笑いされていることと拝察する次第です。                                                (松下)

 ■ 中国魚山に記念碑が建立 (表紙写真)
 平成7年の東寺創建千二百年記念事業に「鈴木智辨・加藤宥雄声明全集」が製作され、8年6月、藤原宗務総長を団長に、中国魚山を参拝。「魚山博物館」と「曲阜師範大学音楽学部」に「声明全集」を1セットずつ贈呈しました。この時「魚山博物館」の劉玉新副館長の好意で魚山山麓に記念碑を建立する事を勧められていましたが、この記念碑ができあがり、劉玉新副館長から写真が送られてきました。書は最明寺加藤宥雄僧正のご子息で、小田原市・保安寺住職の加藤宥真僧正です。碑の高さは約2メートル、素材は東阿県出土の石材です。この地域は石材加工業の盛んな地域のようです。

 ■ 藤原宗務総長の談話
 ほんとに喜ばしい事ですし、また不思議な事だと思います。1200年間、東寺に伝えられた声明を<CD版と全テキスト>の形で、ルーツの地・中国魚山に奉納できたことだけでも、ありがたいのですが、結果的には、それが「東寺創建1200年記念事業」最後の締めくくりの仕事になりました。このような千歳一隅の機会に、宗務総長として皆様を魚山にご案内できたことを、誠に仏縁と感じます。「東寺がようやく1200年を迎えられました」と、魚山の青い空の下に、お大師様の碑文を建てることができました。中国に留学されておられた若い頃を思い出して、お大師様も、あの青い空のどこかで、ほほ笑んでくださってると、その日私は思いました。