1.25
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中日密研静岡支部は、代表理事長、陸軍大佐・八木雄馬を支部代表として中国臨時政府要人との会見ならびに北支日本軍慰問の目的で派遣する。(〜3.18)(830・827・837)
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1.--
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中日密教研究会静岡支部はパンチェンラマ追弔法要を記念し、「班禅法王追悼余光」3000部を発刊し、国内・中国へ送る。(834)
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2.17
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田中清純、矢野真(スペイン駐箚特命全権公使)の帰国で横浜港へ見送り。(矢野はS7年北京大使館にあり、田中とパンチェンラマとの会見を取り持つ。)(832)
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5.01
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内ヶ崎文部政務次官、田中清純を清水寺に訪れる。(840)
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5.06
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田中清純、伊東温泉に来日中の北支臨時政府行政委員長・王克敏を訪ね、約1時間にわたり会見。(840)
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5.13
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田中清純、東京に矢野スペイン公使を訪問。(841)
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5.16
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田中清純、東京文部省に内ヶ崎文部政務次官を訪問。(841)
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6.03
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風神廟で風神廟修復委員会。(848)
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8.--
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高橋大善、高野山大を卒業し、蒙古開教を目指して本月蒙古・厚和に至る。同地ラマ寺舎力図召に入廟し、蒙古語を研究中。(849・850)
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9.11
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厚和滞在中の高橋大善、内蒙奥地の調査。(〜10.03)(857・858)
10.-- 包頭へ善隣協会の依頼でラマ教調査。(857)
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10.02
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北京にて、風神廟修築第2回委員会が開かれ、江朝宗、王揖唐ら出席し、着工を決定。
中国側三万円の基金を集めることを決定。(856)
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10.03
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日本軍特務部・富田鎮彦は、風神廟を訪れ、宗教関係専門の成田少佐の帰任を待ち、20日頃開かれる対支布教対策会議に吉井芳純の出席を求める。(85?)
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10.--
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満州国政府の依頼により、熱河省八大廟のラマ増160名の指導・監督のため、高野山より長谷川行栄が派遣さる。(857・866)
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10.06
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蒙古連盟自治政府文官行政視察団一向、日華親善殿(静岡市・清水寺)を訪問。
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12.14
〜28
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古義真言宗・草繁総務、ラマ教との提携工作。北京別院問題など処理のため渡支。(861)
蒙彊親善協会要人らとの会見をし、帰国。(884)
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12.--
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張家口高野山阿彌陀寺に飯野俊宣、日蒙密教研究会・高野山日曜児童園をつくる。(863)
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12.--
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「日華親善殿」の看板が、東海道線沿線に建てられる。(861)
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