--.-- 小栗栖香頂、京都府令が「真宗をして自今、一向宗と称す」に対し大隈重信に抗議解決「宗名 恢復運動」に尽力。


7.17 小栗栖香頂、大分県出身・東本願寺の僧。日本仏教を中国に布教し、仏教を通じてイギリスをはじめとするキリスト教帝国主義に反対する日本・中国・インドによる「アジア仏教同盟」設立を計画して長崎を出帆、上海へ向かう。(第1回渡支)
「徳川の鎖港以来、僧の西遊は快挙、僧俗の送別雲集す」と。
7.19 上海上陸 龍華寺訪問。
8.06 天津上陸 大悲庵訪問。
8.16 小栗栖香頂 北京に入り、龍泉寺本然和尚より寺内滞在を許可さる。和尚に西洋帝国主義に対し日本・中国・インドによる仏教三国同盟結成を提唱するも賛同なく落胆。
12.01 小栗栖香頂 五台山に登山し上記の計画をアピールするため、北京雍和宮の活佛に面会、協力を依頼し五台山へ。


4.-- 小栗栖香頂、宗派より中国布教にあたらしむの命を受ける。
6.20 小栗栖香頂、五台山より北京にもどる。
9.14 小栗栖香頂、第1回渡支より大分の自坊に帰国する。


7.-- 小栗栖香頂、東本願寺上海別院開設のため第2回渡支。
8.-- 東本願寺、上海に別院を創設する。(g)


11.-- 東本願寺、北京に直隷教、上海に江蘇教校を創む。(g)


5.-- 小栗栖香頂、自坊大分・妙正寺住職退任、本山宗務専任のためか。
5.-- 上海東本願寺、江蘇教校を廃す。(g)


9.-- 日本東本願寺、清国布教を止む。(g)


--.-- 日本東本願寺、ふたたび清国布教へ。


--.-- 河口慧海、チベット探検の途に上る。(g)


--.-- 小栗栖香頂 病気療養のため東京より大分の自坊に帰山す。
2.-- 上海東本願寺別院改築する。(g)
10.-- 日本僧大谷勝信・同瑩誠等、上海に来る。(g)
11.-- 大谷瑩誠、厦門を経て淡水に入る。(g)
11.-- 日本僧能海寛、長江を遡り西蔵へ。(g)


1.-- ショウ州、泉州に日本大谷派布教を始む。(g) (※ショウ=さんずいに章)
4.-- 能海寛、重慶を発し、成都に入る。(g)
5.-- 能海寛、打箭爐に入る。(g)
5.-- 義和団事件起こる。
6.-- 日本僧・寺本婉雅、北京を発し、宣昌を発し、打箭爐に達し、能海と会す。(g)
6.-- 大谷派、杭州日本学堂に、開導学堂を設立。
6.-- 大谷派、姑ソに東文学堂を設く。(g) (※ソ=うおへんに禾)
8.-- 能海寛、寺本婉雅、巴塘に入る.(g)
8.-- 大谷勝信、上海を発し宣昌に入る。(g)
9.-- ヘイ米国務長官、中国の門戸開放を提議。
10.-- 大谷勝信、北清地方を順錫。(g)
11.-- 義和団、山東省を席捲。直隷省に入る。


1.-- 義和団の乱、華北各地に広がる。(〜5.--)
3.-- 南京に日本大谷派東文学堂を設く。(g)
5.-- 義和団の乱
8.-- 厦門、大谷派教堂焼かる。(g)
11.-- 露清密約。


3.18 小栗栖香頂寂す。76歳(天保2年[1831年]8月4日生)中国開教の先駆者、真宗僧侶。(g)


--.-- 石橋袋城(いしばしたいじょう)・福岡県柳川市出身は京大卒業後、大谷光瑞の弟子となり、内モンゴル・ハイラルに西本願寺末寺を開設。(石村博子『たった独りの引き揚げ隊』平成21年・角川書店)


3.-- 中国仏教徒中に、太虚法師等を中心に「全亜仏教々育社」が発足する。(400)
10.-- 日本仏教連合会主催「支那仏教視察団」、中国各地を視察。(430・423)


5.-- 済南事変で仏教各宗は慰問使を送る。(489)


9.18 満州事変(柳条溝事件)。奉天占領。
10.-- 錦州爆撃。
11.-- チチハル入城。


1.-- 日本軍・錦州入城。上海事件起きる。
2.-- 上海総攻撃。
日本軍・ハルビン入城。
国際連盟リットン調査団来日。
3.01 満州国建国宣言。
5.01 日華停戦協定。
9.-- 日満議定書調印。
10.-- リットン報告書発表。
松岡洋右、国際連盟日本代表、リットン報告書に反論。
--.-- ハルビンの天台宗極楽寺は、一般には北満への仏教布教の本拠地として知られている。しかしその実態は、陸軍が後ろ盾となる特務機関院の要請施設だった。いわば陸軍中野学校の前身、その卒業生がハルビン特務機関へと送り込まれた。(『異聞太平洋戦記』柴田哲孝・講談社・2010年)
--.-- 天理教の満蒙進出「天理村」の建設運動。(618)


12.-- 西安事件起きる。中華民族坑日統一戦線へ。


7.07 日華事変。
8.06 日本仏教各宗は、本日現在28名の従軍慰問使を中国々内で活動させている。
高野山…3 東本…8 西本…7 日蓮…3 浄…4 禅…3 (813)
8.11 上海日本仏教団理事会が上海東本願寺でひらかれ、開戦の場合の従軍布教につき申し合わせる。(816)
12.-- パンチェンラマ、青海省ジクエンド付近で死亡。(827)


8.08 新民会中央指導部主催、日本宗教各派第1回連絡懇談会開らかる。(850)
9.24 石家荘の日本仏教各派は、本日「石家荘日本宗教団」を結成。(854)
9.30 金剛峯寺・山本芳遭執行、北京別院視察。北京大法会予算決定のため。
10.11帰山。(854・855)


5.26 新京協和会・般若寺で満州国仏教総会が発会する。(877)
12.01 仏教同願会(王揖唐会長)の北京大会。(895)


8.19 満州国政府は対ラマ教対策として、新宗団の結成を含んだラマ教整備要網を本日国務院で決定。(930)
10.27 興亜院のきもいりで開かれていた華北蒙彊仏教連合会所属の現地開教師の合宿協議会は、各派の対支布教の合同を決定。(941)
12.05 「満州ラマ教団」が新京にラマ教代表300余名出席して、日本軍の工作により結成さる。(946)


9.-- 蒙彊政府は、弘報局の主催のもとに本月より1ヶ月にわたり、ラマ教の七大宗派の各宗派別大会を開く。(第3回・全蒙ラマ教大会)
10.07 この大会の最後として、ラマ教大会開かれる。(988)


2.-- 国民政府外交官部長・楮民誼は、弘法大師記念特誌を発行。(1003)
9.01
〜03
満州国建国10周年慶祝仏教徒大会開かれ、大東亜共栄圏内の仏教徒の提携が協議される。(1034)
11.26
〜28
蒙古仏教復興懇談会、於張家ロ・遠来荘にて、蒙古連合自治政府・興蒙委員会主催。(1047)
12.08 錫盟公署主催・ラマ教懇談会が錫盟公署で開かれ、蒙古仏教復興懇談会の決議事項の具体化について協誰がなさる。(1049)
12.18 王当召広栄学院が設立され、蒙古語と日本語の授業が来春からなされると決定。(1049)
12.-- 厚和ラマ印務所は、11・28日の張家口での懇談会決議。12.08日の厚和大会の決議に基づき厚和巴盟公署にラマ学枚設立願書を提出。(1049)


3.30 北支日本仏教連合会厚和支部が、厚和建国時に高鍋・田治・大野・林らの在厚和各宗代表集まり結成さる。(1072)
高森部隊は、明報恩寺境内旧蹟より玄奘法師の頂骨を発掘する。(1063)
5.11
〜13
蒙彊政府は、対ラマ教工作の一環として第1回蒙古仏教復興会議につづき、第2回会議を政府会議場に開く。(1065)
5.11
〜14
張家ロラマ印務所主催のラマ会議が同所で開かれ、ラマ印務所の結成・教育機関の各廟設置・出家・度牒制など決定。(1069)
5.-- 蒙彊政府、中央ラマ印務所を設立。(1102)
8.-- 興蒙委員会はラマ印務所に命じ、9・10月にわたり察盟・烏盟・錫盟、各地を巡教させる。日本ラマ研究所の多和川勝芳・神島祐光・根本澄善・笹井敬仙・石川素光etcが参加し、各地を巡教。(1086)