7.12 密厳教報115号、はじめて日清戦争報道。
7.30 番外通達。「日清交戦に付論達、忠誠国に報いるの義を論す。」(M117)(祈念と恤兵の指示)
8.01 日清戦争宣戦布告。
8.10 番外通達。本宗長者、金三百円を献金する。(M118)
この頃戦勝祈願法要盛んとなる。一番早いもの、7.27深川成田山。(117)
祈願のニュースは117号より順次。全体として早いものは8.4・7・8日とあるが、旧盆の済んだ20日過ぎから全国的に行われる。日本中の寺がおそらく何らかの形で参加したのか?(119)
幻燈が布教に使われる。(120)献金運動も盛ん。
11.上
泉山鼎、勧修寺釈内、僧侶従軍を各宗協会へ提案、決定。(126)
11.26 臨時告示「従軍僧派遣の告示」
臨時第1号 東寺に臨時事務局を開設。
臨時第2号 全国末寺、金一円也の賦課金。(125)
臨時第3号 「勧諭」
11.27 申請代表、京都を発ち大本営へ。3名(真言・天台・臨済、各1名。)許可。(第1回申請)
12.01 各山長老の論達。
12.13 特許従軍師・和田大円、軍隊慰問戦死者追弔師、山縣玄浄・岩堀智道・五十嵐光龍任命。同伴者・岩佐大道。
12.16 京都出発。
12.27 佛家各宗総代、従軍僧派遣許可申請。12.30認可。真言宗4名認可さる。(第2回申請)


12.19 田和密乗(初代)満州開教監督に就任。(7)


6.-- 宗務省、徴兵よけの祈祷をした金沢市内の住職を処罰。(19)
--.-- 高野山大師教会、ようやく満鮮開教師募集に積極化。


8.10 田和密乗、初代満州開教監督活動中。(50)


2.17 連合法務所は、開教地からの要望で開教師を募集。資格は中卒以上、25才以上、40才以下。(62)
11.10 高野山大師教会本部、満鮮開教師5名募集。(79)


10.-- 高野山大師教会本部、朝鮮・満州の開教師募集。(100)


9.20 真言宗連合法務所、全国末寺へシベリア出兵につき論達を発し、国民の奮起をなさしむるべく申しつく。(133)


1.-- 高野山大師教会本部、満・朝・台の開教師募集。(180)


7.04 菅野経禅(旅順・影現寺住職)は連合議員選挙違反で処分さる。第13区から当選していた。その後、再当選。(270)


11.03 第7宗会で、満州慰問使派遣決議。(607)
12.-- 古義真言宗々務所、日支事変慰問金カンパ活動。(607)
12.-- 古義真言宗々務所、日支事変のため迫害にあった満州開拓にある朝鮮人に対し、300円を督府を通じ。(607)


4.14 8年度、満州開教師に杉本大染・中村宏海・南野玄明(3名高野山大学)。
5.-- 1名欠員のところ、佐伯良忠(京専卒)に決定。(657・611)


3.01 古義真言宗々務所・高野山大学、満州国皇帝・溥儀の就任を祝し、祝電。(688)
12.-- 第10宗会は、満州開教監督を廃止して、さらに広域を監督する満州開教総長制度を設置決定。(714)10年1月23日文部省認可。(723・751)


4.21 台湾大地震。高野山大師教会本部、全国金剛講員へ募金運動の指令。(731)
4.-- 古義真言宗々務所、支那留学生採用方法決定。(728)


10.-- 高岡古義真言宗管長、上海陸戦隊居留民団等へ慰問状。(784)


6.19 真言宗学徒連盟結成。高野山大・大正大・智専・京専(808)
7.17 古義真言宗上局会、慰問金募集・慰問使の派遣・時局布教の実施を決定。全国へ指示。(811)
7.18 古義真言宗各派会、北支事変応急処置につき会議し、連合達示の発布・御守を北支に送るなど決定。(811)
8.08 東寺にて、古義各派会開かれ、従軍布教師の派遣を決定する。(813)
8.30 従軍布教師として、佐和・野沢・宮本・味岡・森の5名が任命さる。(815)
8.31 満州開教総長の職制は昭和9年の第10宗会で決定されていたが、今まで決定されていなかったところ、本日附け教務部長の兼職として決定。(815)現地の菅野は免職。
9.-- 古義真言宗々務所に支那事変臨時事務局設置。(817)
10.10 9月13日附発表の古義真言宗支那事変臨時事務局規定中、部長は金剛峯寺執行をもってあてるとあった所、仁・山両本山執行も加えるとなる。(819)
11.17
〜18
支那事変臨時事務局主催、第3回古義真言宗支所長会議開かれる。京都・仁和寺。(822)
11.21 智山派、陸海軍5000円献金。(824)
12.-- 古義真言宗、事変臨時事務局の支局を神戸聖徳院に。(824)


2.06 古義真言宗第14宗会、草繁総務、蒙彊開教を強調。(866)
満州駐在布教師20名、満支開教地分割の請願を本宗会に提出。(867)
2.19 初代満支開教総長に福田寺戒性。(831)
3.26 成田山陸海軍へ10万献金。(836)
3.-- 古義真言宗々務所、元満州開教監督・菅野経禅を辞職にともない表彰。(834)
3.-- 古義真言宗々務所、従軍布教師に帰国準備令。(835)
4.-- 高野山修道院、実用支那語を開講。講師、同院留学生・胡靖。(829)
4.-- 高野山大師教会本部「大師新聞」創刊。(837)
5.18 宗務所学務部主催・蒙古僧慰安会開かる。13年5月現在、蒙古僧6名留学中。(841)
5.18 高野山大師教会本部にて北支対策座談会が開かれ、開教総長・機関重役・山内寺院有志が参加。(840)
7.22
〜23
古義真言宗、北支開教こついての上局会。福田寺出席。(847)
8.06 古義真言宗、陸軍へ2000円献金。(849)
9.01
〜04
古義真言宗時局特別講習会、全国の布教師のほとんどを出席させる。(851)
9.03 時局対策懇談会開かれ、対支布教強化の決定。(851)
12.10 高野山大師教会布教評議会にて福田寺開教総長、満支開教についての計画をのべ、「蒙古進出、北京日華学校の充実、宜撫工作の国策への合致」などについて報告。(861)
12.17 高野山大師教会本部、全国へ「心の武装」3万部配布。(862)
草繁総務、来日中の徳王と会見。(857)


1.25 高野山・中野義照、北支開教問題で上申書を提出。(867)
1.26 高野山大師教会本部主催・対支蒙彊開教懇談会。(886)
1.29 蒙古出先官憲・高橋大善に託し、高野山当局へ厚和への活動の主力転化と日蒙仏教提携で要望書を提出。(866)
1.-- 協和会、新京開教々務所を通じ、高野山へラマ研究生を募集。(865)
2.01 古義真言宗、「支那事変臨時事務局」を「興亜事務局」と改称。(867)
2.06 第10宗会、開教地問題で粉急。(867・868)
3.06 古義真言宗、蒙彊地方派遣開教師、満州ラマ廟留学生26名が詮衡さる。(870)
3.08
〜09
14宗会の決定による開教方針樹立のため支那蒙彊開教協議会。(大阪)(868)
3.15 大阪仏教奉仕会館にて、高野山大師教会本部主催・支那開教師養成講習所開かる。社会事業による大陸進出の声から鍼灸術の講習をを中心としたもの。(868・878) 48名が参加。(〜6.13)
7.05 高野山大師教会本部、高野山時報に支那開教師20名、蒙彊開教師20名、満鮮開教師10名を募集。(881)
7.17 大坂・大融寺、蒙支開教方針協議会第2回委員会開かれ、満州・北支の独立教務所設置を決定。(882)
7.18 古義真言宗教令157号発布により、興亜事務局規定・開教々務規定が改正され、満州国内と北支の別立の教務所の設置決定。(883)
7.18 興亜事務局参与7名決定。く883)
7.20 古義真言宗・草繁内局総辞職。(S12〜)(883)
8.03 関内局成立。(884)
7.-- 醍醐派発行「醍醐」(S12.2月刊)廃刊。
8.09 草繁全宣、興亜事務局長兼開教総長に就任。(885)
10.19 古義真言宗・高岡隆心管長死亡。藤村密幢事務掌理(892)、加藤諦見、管長就任。S15.1.17(900)
10.-- 古義真言宗、天津水害カンパ1000円、大毎・大朝へ。(891)
11.05 東京別院、古義真言宗東日本13支所会議開かれ、大陸開教強化の宗会への提案決議。(894)
11.21 古義真言宗全国支所長懇談会開かれ、大陸開教宜撫工作の方針などにつき懇談。(894・895)
12.16 15宗会で興亜事務局が興亜局と改正され、興亜局規定が宗務所より。(898)
12.17 北京風神廟と報国寺は両者のヘゲモニー争いでもめていたが、本日宗務所で吉井芳純と当局の間で協定が成立し、吉井は北京別院(風神廟)主監兼理事長に就任。(898)
12.25 古義興亜局の成立にともない、高野山大師教会内の開教事務移管となり事務の引継ぎ。(899)


2.01 古義興亜局は本日付で宗機顧問・耆宿、宗議、全国支所長などに参与任命の辞令を送る。(903)
2.30 古義真言宗、支那事変中間表彰として1100余名を表彰。(902)
2.11 高橋大善の案内で来日した、活佛エムチホトコトの来日を期し、「日蒙ラマ青年同盟」が結成さる。(903)
3.06 古義真言宗興亜局は、興亜財団設立のための第2回協議会を開き、財団の定款を決定。
15年度予算を143900円と決定。(907)
3.13 古義宗議選16区(満鮮台)、亀山弘応。(907)
3.31 文部省の圧力により、古義真言宗の興亜局は従来の臨時的な位置から総務局の中に入れられ、本局は五部制(庶務・教務・学務・財務・興亜局)となる。(911)
3.-- 協和会の坂井栄三郎が来山し、満州ラマ留学生を募集していたが、高野山大5名、大谷・龍大5名と決まり、高野山大は石田宥法・植村眞光・雲峰寿夫・嘉吉策郎・豊田弘信が決定。(905)
4.-- 関総務、北支視察中止。(910)
5.20 草繁興亜局総監、現地インフレのため北京別院の維持困難により、打ち合わせ帰国。(917) 9.06 北京へ(934) 10.17 帰国
6.01 柳原龍円の辞任により、欠員中の興亜局参与に豊田高雄が就任。(918)
6.22 台湾僧養成講習会(高野山大師教会にて5月より)閉会し、台湾僧帰国する。(921)
8.05 かねて古義真言宗は、大陸開教の財政確保のため、興亜財団の設立を計画していたが、文部省不認可のため、本日上局会で会員組織の「高野山興亜協会」の設立を決定。(928)
12.15 加藤諦見古義真言宗管長死亡。(947)


1.19 古義真言宗管長に藤村密幢(大覚寺門跡)、無投票就任(950)
2.11 善通寺派より、伝導機関誌月刊『善通寺教報』創刊。(900)
2.-- 古義教務部・高野山大師教会本部、16年度布教方針を「大政翼賛・民道実践」として指示。(954)
3.04 醍醐寺にて新古合同会議開かれ、文部省の斡旋で合同真言宗が成立。(956)
3.29 古義真言宗臨時宗会、新古八派の合同案無修正で成立。(959)
3.31 合同真言宗初代管長に藤村密幢。(961)
3.-- 古義興亜局は、華北交通会社から依頼され、同社の鉄道沿線六千キロにのぼる住民の宣撫事業のため25名の宜撫員を募集。(959)
4.-- 合同真言宗初代宗務長に倉持秀峯(智山派宗務長)就任。(960)
5.-- 古義宗務所発行、宗報「真言」廃刊となり、合同真言宗から「真言宗報」が発刊。(970)
7.12 第1号発行。
6.19 合同真言宗第1回臨時宗会。(971)
8.02 真言宗・中村興亜部長は、岩鶴密雲・坂野栄範の両名をつれ8月中旬渡蒙し、ラマ教の視察と大日本密教協会設立の連絡をとることになっていたが、興亜院の指示で秋まで延期。(978)
8.23 文部省の時局対処の機関設置の指示をうけて、真言宗々務所は本日「真言宗臨戦態勢実践要項」を決定し、真言宗報国隊を結成。(981)
8.30 東京宗務所、真言宗全国支所長会議。(982)
9.09 真言宗報国隊結成式。東寺。(983)
9.10 管長・宗務長は伊勢神宮に報告参拝。
9.09 本山重役会(東寺)、100円献金の件協議。(983)
10.01 東京智山専門学校に真言宗興亜部「蒙彊派遣僧訓練所」新設さる。(978)14名卒。(1004)(至17年2.08)
10.10 真言宗興亜部主催・興亜補導員講習会。東京宗務所。(984・978)
10.16 華北交通会社の宗教宣撫員、18名決定。(988)
10.25 既に決定した(10.16)華北交通会社の宗教宣撫員の面接テストの結果13名が採用され、11.21 神戸出発。(990・992)
11.14 真言宗興亜部、国策とラマ教とのルート対策研究のため座談会。九段軍人会館。(990)
11.-- 教学部「大元御修法慶修の意義」を発刊。全国寺院へ。(990)
12.08 真言宗管長、宗徒に対し告論「決死報国の大義に殉するの時」と指示。(997)
12.08 宗務長支所へ管長告論に基づく具体的・実践的項目を提示。(997)
「地方機関と協力して決戦体制に遺憾なきを期すよう」命令。(996)
12.09 真言宗戦時事務局設置。(996)
12.11 金剛峯寺、全国末寺に必勝実践要項10則を指示。(996)
12.13 真言宗戦時事務局規定発布。
12.17
〜18
布教評議会(東京宗務所)、布教研究所の設置などを内容とした戦時布教の態勢が確立。(999)


1.-- 真言宗報国団本部は地方各班に対し、南方進出の準備などを含む8項目の指示をする。(999)
2.07 興亜部、真如親王遺跡顕彰につき貴衆両院請願。(1003)
2.08 宗務所、真言宗報国団全国大会。(1003)
2.08 真言宗戦時事務局の主催で開かれた宗務所と報国団各地方班長との懇談会で、中村興亜部長は南方進出のため東亜協会の設立計画を発表。(1003)
2.19 興亜部真如親王顕彰のため、各界人士懇談会。(1005)
3.11 第二次定期宗会。(1007)
5.04
〜05
全国支所長会議開かる。(1015)
5.05 この会議の延長として、報国団班長・支部長会議開かれ、戦時事務局と報国団改組が協議さる。(1015)
5.-- 真言宗の戦時活動の資金調達を目的としての東亜協会の設立具体化。檀徒一戸、年50銭を徴収すると。(1015)
5.-- 金剛峯寺興亜課は、軍部の依頼により従軍僧を派遣することになり、これを募集。(1016)
6.22 藤村管長は、第5回教学制度審議会(6.10・11)においての高野山大学問題に対する決定について実行不可能という理由で辞表を提出。(1021)
7.23 東京・真言宗臨時宗会。大学問題にて。(1026)
11.-- 金剛峯寺、中支漢ロ別院と北支駐在開教師1名ずつ募集。(1043)
11.-- 中村興亜部長、現職のまま大日本仏教会興亜部長に就任。(1041)
12.03 真言宗文化協会が護国寺を本部として発足。会長・富田こう純、理事長・高神覚祥。(1044)


3.-- 金剛峯寺興亜課は、軍の依頼をうけて高野山大学にて南支方面への派遣開教師を募集。(1057)
4.-- 真言宗は4次宗会で思想対策委員会を15000円の予算でつくったが、この委員会が具体化する。(1059)
5.-- 金剛峯寺興亜課、満州開教師・南方進出の教師を再募集。(1066)
6.10
〜11
真言宗全国宗務所会議が開かれ、「戦意の昂揚、戦力増強の布教」が当局より指示される。(1071)
9.-- 金剛峯寺は高野山大師教会本部創設40周年記念事業として17年度教務会議で開教史編纂を決議していたが、いよいよ具体的活動に入り、星島教務部主事のもとで着手、資料収集に入る。(1084)
9.-- 高野山金剛峯寺教務部は、海外特使を派遣するのでこれを募集。(1084)
10.20 真言宗管長・斉藤隆現、10.25を期して敵国降伏の祈祷会を東寺において修する旨、全国に告論。(1089)
10.23 真言宗々務所は10.25からの祈祷会につき全国支所長へ通知を出し、檀徒へ宣伝の旨指示。(1090)
12.-- 華北交通会社の宗教宣撫員の第2次募集が金剛峯寺から。(1096)


3.10 第5次宗会開かる。(1108)


12.20 S16年に成立した合同真言宗は、東寺で臨時宗会を開き、全員一致で新日本の建設と各山の独立を決議。(1115)


6.06
〜10
高野山真言宗成立のための第1回臨時宗会、マッカーサー元帥に対し感謝の意を表すことを決議。(1116)
6.-- 高野山真言宗管長に大原智乗。(1116)
11.16 高野山真言宗第2回臨時宗会。(1127)
11.-- 宗務所は、引揚開教師の保護として引揚者開拓対への駐在布教師に斡旋。(1125)