10.01 高野山大学密教研究会より、「密教研究」が創刊さる。(132)


3.-- 菅野経禅(大連・太聖寺)、蒙古経典一巻を大学図書館へ。(257)
3.25 中国広東省・潮安懸の僧「純密」(22才)法師は留学のため来山。この日土宣大僧正と筆談数時間におよぶ。目下高野山大教授・久保雅友宅に同宿研究中。(259)
8.-- 中国僧・大勇法師(杭州の人)は、東寺大学・長谷教授の紹介で来山。金山師のもとで研究。(272)
--.-- 高野山に純密(持松法師。戦後、上海静安寺住職。筆者の恩人)・密林・大勇の三法師来山、研究中。(300)


1.-- 顕陰法師、高野山留学を終え帰国。(360) 5.21「上海仏教居士林」にて急死する。
4.17 東亜仏教大会に参加した中華民国仏教徒代表・太虚法師ら高野山へ来山する。40名(390)


4.02 高野山大学、単科大学として認可。(404)
8.-- 密林法師(武昌宝通寺住職)、再び来山。(415)
--.-- 高野山時報、盛んにマルキシズムを排撃。(K)


1.05 高野山時報、海外布教の特集。(430)
--.-- つづいてマルキシズム攻撃。(K)


3.26 朝鮮仏教代表団20名来山。(475)


5.16 高野山大学図書館完成式。(516)


1.-- 「高野山時報」、開教問題特集。(538)
3.10 朝鮮総督府宗務課長・李昌根高野山来山。(545)


8.16 高野山大学新聞部主催、反宗教批判座談会。(597)


1.-- 高野山時報、反宗教問題で特集。(610・611)
2.-- 高野山時報、満蒙開教問題。(615〜618)
615〜617 「満蒙開教対策樹立せよ」
615 満蒙新建国についての意見をつのる。
617〜618 満蒙開教対策座談会。
4.-- 大学に中国語講座設置。(622)
4.16 菅野、上海事変死者600余の遺骨を持って来山。(621)
4.30 高野山大学に中国語の講座が設けられる。(〜12.--)(622)
5.04 中野義照、「満州をかたる会」。奉天仏連の招待で中国へ行っていたもの。(623)


2.-- 信仰座談会が学生・教授を中心に。(658)
3.-- 高野山時報、満州開教問題特集。(〜4.--)(652-657)
5.11 井上慈禅、満州事変戦死者の遺骨を持って高野山来山。(659)
7.-- 火曜会発足。(665)
11.-- 高野山大学は、吉井芳純と中日密教研究会などの援助を得て西蔵々経・甘珎爾部を購入できる。(680)


4.24 王揖唐来山。高野山開創大法要に金堂にて中日密教研究会々長、段祺瑞の慶賛文を代読。(694)
5.01
〜06
図書館、東方絵画協会主催・支那当代画家展覧会。(697)
7.24 第2回汎太平洋仏青大会代表400名高野山来山。(704)
7.25 信仰座談会。支那代表・智山代表歓迎会。(705)
11.-- 純密法師(広東省・潮安縣開元寺)来山。仏具購入して帰国。(718)
12.13 仁忠法師(蒙古興定南分省・雙福寺のラマ僧)、3年間の修行の予定で高野山へ来山。天徳院へ。(718)


1.24 高野山大仏教芸術科在学中の吉岡隆は満州国日系軍官採用試験に合格し、中慰として奉天へ。(720)
3.07 淨徳法師(杭州西湖梵天寺)、林幾沈(北京北方中学卒業生、21才)、吉井芳純と共に高野山来山。天徳院へ研究留学。(726)
5.09 満州国蒙政部派遣のラマ僧7名、研究留学のため高野山へ来山。(732,752)
9.24 高野山大火曜会、蒙古仏教事情を満州国留学僧・仁忠師より聞く。(746)
11.26 高野山来山中の蒙古僧、宝厳・良諦・道海・徳浄・仁忠、得度する。(752)


4.26 蒙古日本視察旗長団一行13名高野山来山。団長・興安南省科爾泌左翼中旗々長陽倉禮布。(767)
4.30 持松法師・汪歳鸞(全国民営電業連合会主席)研究留学のため高野山来山。天徳院へ。(767)
(持松法師は大正11年高野山留学の人)。
9.08 火曜会、中野義照の支那仏教復興私見を聞く会。(780)
10.25 高野山時報、大学創立50周年記念号。(784)


4.25 満州国内地仏教視察団(36名)来山。(803)
4.30 菅野経禅、高野山勧学寮入学者中国人・胡宗靖をつれて来山。(803) S13年8月11日帰国。(848)
金剛峯寺は、胡宗靖に托して満州皇帝に大師御影献上。(849)
5.07 曜鐘緑(中日密教研究会理事、冀東政府財政庁総務課長)来山。(804)
6.-- 高野山大学生約40名、集団でうぐいす谷(高野山に戦前あった花街)門柱を引き倒す。うぐいす谷側は主謀者を告発。(808・809)
7.20 草繁総務、高野山大学で非常時訓示。(811)


2.13 坂井栄三郎(満州国協和会補導科員)、ラマ研究留学生募集のため来山。(868)
4.06 蒙古視察団、高野山来山。吉林省郭爾羅斯前斯公署、副参事、金越眞団長、吉林からの留学僧2名も来山。(837)
4.-- 大学に特別講座「支那事情」と「支那語」が開校さる。(講師・吉野美彌雄)(853)
7.12 高野山留学中の蒙古留学僧、薩金徳勒格爾・道爾吉・巴拉机爾・林泌札木蘇の4名帰国。(S10年5月満州国より派遣さる)(845・846)
9.-- 高野山中学入学のため、朝鮮慶尚北道達城郡公山面桐華寺・尹寅変(18才)来山。(851)
10.11 蒙古連盟自治政府文官行政視察団の一行が高野山来山。活仏4名を含む。(855)
12.18 満州国民生部よりラマ教との提携の問題で事務官が高野山来山。(863)


1.21 吉林東文学校長・本多辰乗、教師募集のため高野山来山。(865)
1.30 古義真言宗学務部主催・蒙古留学生教養協議会にて、蒙古僧養成のため「東亜密教学院」の創立が決定する。(866)
4.-- 創立。(874)
2.13 満州国協和会本部・坂井栄三郎、ラマ廟への研究留学生の派遣について高野山へ来山。(867)
5.10 中華民国天津市教育視察団、前東正雄とともに来山。
5.16 満州国吉林省郭爾羅斯前旗の日本行政視察団一行とともに、高野山留学蒙古ラマ僧4名来山。興亜密教学院へ入学。(877)
5.31 興亜密教学院の6名の蒙古ラマ僧、高野山大師教会にて得度。(878)
6.01 蒙古ラマ僧、林親札木蘇(S11年5月来山)は帰国。(878)
7.-- 大阪外語大学生(蒙古語科10数名)が高野山へ来山し、留学中の蒙古僧と語学の交換指導をする。(883)
7.-- 満州国政府から高野山大図書館へ『清朝実録』が寄増さる。(881)
8.11 前開教総長・福田寺戒性が帰国、高野山へ来山。(885)
10.20 興亜院文化部課長・林安、善隣協会・中込善重は、高野山興亜密教学院視察のため来山。草繁興亜局長らと会見。(892)
10.23 駐日満州国大使館理事官・鳥雲達賚が来山。高野山興亜密教学院を視察。(894)
10.28 満州国中央農事訓練所生徒、日満蒙123名が高野山来山。高野山の林業を視察。(893)
11.11 満州国々務院興安局参事官・呉春齢は、日本におけるラマ留学生の状況視察などの目的で来朝し、本日高野山来山。興亜密教学院を視察。(894)
11.-- 興亜開教に順応するため高野山大学では明年度から「大陸学講座」を設け、まず蒙古語を教授することになる。(894)
12.05 吉井芳純(北京高野山別院・風神廟)は、宗会工作のため2年ぶりに高野山に。(897)
12.15
〜19
厚和エムチ廟の活仏、ラプスン・ダンペ・ジャラサン高野山へ。(898)


1.-- 高野山大・藤田眞道は、旅順に創立される高枚の幹部として赴任。(902)
2.09 坂井栄三郎(満州国協和会補導課)は、ラマ留学生の募集で高野山に来山し、本日大学で「協和会の使命と満州国の宗教事情」について講演。(903)
3.03 高野山時報、旬刊から週刊に。(904)
3.14 第1回ラマ研究生・佐藤天俊は入営のため帰国高野山来山し、本日火曜会主催の講演会で「興安北省の宗教事情について」講演。(907)
3.18 華北佛教徒訪日視察団高野山来山。同行、武田熙民・安原賢道。(908)
4.-- 満州国森林官使養成所、高野山に9月までに26名の者が訓練をうけ渡満。(927・933)
4.21 吉林省コルラス前旗の代表14名、同地ラマ廟駐在の波多野観瑞と来山。(913)
この代表と来山したラマ僧4名高野山興亜密教学院へ入学。(913)
4.20 台湾僧11名が高野山来山(男9、女2)。真言宗に帰属することになった台湾の寺廟の監督者となるもので大乗院にて合宿。(914)
4.-- 大学に大陸科が新設される。西山専門学校から土井重雄が大陸科に入る。2回生論文制が採用される。(911・899)
5.20 満州ラマの最高活仏といわれる興安西省・阿魯科爾泌旗載恩寺の活仏アクンエシラハバスンゴ一行14名高野山来山。留学僧間題で当局と意見の一致を見る。(917)
5.23 前冀東防共自治政府政務長官・殷汝耕来山し、通州事件横死者追悼会に出席。(917)
5.27 満州国興安局員・三原芳信に引率され来日した蒙古留学生27名は、智思院15名・比叡山5名・高野山7名となり、7名は3ヵ年の予定で高野山興亜密教学院へ入学。(918)
6.01 高野山大生、大陸研究のために「東亜問題研究会」を創る。(916・918)
6.25 満州国皇帝の来日のため、高野山興亜密教学院生は大塔前で平安祈願。(922)
7.02 興亜密教学院へ本年留学した11名の蒙古留学生得度式。(923)
7.24 満州国大使館員・ウマンデレイ、興亜密教学院視察。(926)
7.30 高野山大・赤松教授は、満蒙の宗教事情を調査していたが、本日図書館で同人が収集してきた支那回教関係の書籍などの展覧会を開く。(927)
8.21 留学中のラマ僧ら、九州直方高野山での日満蒙合同大祈願祭に高野山から参加。(931)
8.31 広東六塔寺住職・鉄禅法師(華南日華仏教会々長)、親日の代表的法師が高野山来山。(930)
8.-- 時報「新体制」キャンペーン。(928)
9.25 果言法師(南京仏教会々長・日華仏教連盟副総裁)来山。(934)
9.-- 高野山大学後援会発足。(932)
11.-- 高野山大密教研究会は、「密教研究持集号−密教の護国思想」発刊。(940)
12.-- 協和会は7名のラマ研究生を高野山大学にて幕集。(944)


1.-- 興亜密教学院(高野山)は、昨夏から工費3万円で建設中のところ本月完成。今まで大学寮に間借り中。新校舎は大学寮の前に建築、18名の留学生が入る。本年4月からは南洋方面からの留学生も収容の予定。(953)
2.25 高橋大善は、ラマ研究生・根本和昌とチベット少年を連れて来山。チベット少年はチベット大廟グンブン寺の小僧で、3月から興亜密教学院へ入学予定。チベット最初の留学生。(955)
3.31 興亜密教学院卒業式。レンガノルブ・パドマバザルの2名が卒業。(960)(最初の卒業生)
4.27 高野山時報、「台湾開教記念号」。(963)
5.15 興亜密教学院に10名入学。うち1人はチベット生まれの蒙古人。2名は中国人。7名は5月14日国務院興安局・岡村忠雄に連れられ高野山へ来山した者。これで合計は24名となる。(966)
5.-- 満州国仏教総会からの留学生、明遠・超然・戒塵・広耀・性如・恒学が興亜密教学院へ入学する。(965)
5.-- 高野山興亜密教学院は、合同真言宗教団に移管する。(968)
6.09 華北仏教同願会訪日視察団、檮尊偉団長以下10名は、興亜院・藤永周治と高野山来山。11月の同願会大会への藤村の出席依頼。(970)
6.24 日華仏教連盟南京総会常任理事・南京仏教会副会長・同市西方寺住職・妙機其微、江蘇省江都摂山棲霞寺監院、同律院の訓育主任・大本の両名は、曹洞宗南京別院駐在開教師・大谷宗童の案内で高野山来山(972)
6.-- 山中聖教、興亜密教学院教師に赴任。(970)
7.04 竹本寛隆(蒙彊開教師)、現地報告のため高野山来山。(974)
7.07 大学生15名に興亜開教戦士補助金が下る。(975)
7.23
〜25
興亜密教学院は練成修養会を開き、京都・智恩院ラマ訓練生19名も参加。(975)
10.04 尾初瀬順久来山。(987)
10.-- 真言宗興亜部は、東京智山専門学校内に「ラマ研究所」を設立し、全国から10余名の青年僧が参加。(1000・1053)
12.15 坂井栄三郎(満州協和会)、満州ラマ研究生募集のため来山。(997)
12.26 興亜密教学院は合同真言宗後、宗団に移管され、本日、興亜密教学院規定が発布。(999)


1.16 於高野山金剛峯寺、本山と興亜密教学院との協議会開かれる。新規定に基づく内容充実のため。(1000)
1.22 現代西蔵語講習会をラマ研究所で。講師外務省嘱託・青木文教。(〜12.--)(1000)
2.10 真言宗ラマ研究所は青木文教、満州国カンジュル廟からの留学生を招き、ラマ医術の研究会。(1003)
2.25 興亜密教学院新院長に関栄覚、副院長・高峰秀海、教務主任・香川英隆、師伝・中沢本弘が就任し、加地・岩鳥・案東・坂東らは辞職。本日歓送迎会。(1005)
2.-- 関栄覚院長の代わりに高野山大から松永宥見が密教学院長に。(1005)
3.24 興亜密教学院、第4回卒業式。(1008)
5.12 内地視察中の蒙彊ラマ僧一行11名来山し、密教学院生と懇談。(1016)
5.20 高野山大で本日からマレー語が開講。講師・西村勝次郎。(1017)
5.30 興亜密教学院に満州ラマ教青年5人入学。(各○推薦・選抜生、日本語も判る。)(1019)
7.10 外務省招待、蒙古大ラマ2名高野山来山。(1024)
7.15 学院へ満州国興安局より国旗が贈られる。(1025)
8.21 黄檗宗興亜学院に留学中の中国人留学生、仏宗・不二の両名高野山来山。(1031)
8.-- 金剛峯寺内局の更迭により、興亜密教学院長・関栄覚辞任し、近藤本玄就任。(1030)
10.20 高野山大火曜会主催・酒井真典帰朝歓迎会講演会。酒井はS15年2月より軍特務機関・外務省留学・真言宗開教師として赴任中(1039)のところ本年帰国。
10.24 仏教同願会訪日視察団一向8名が同会顧問・中野義照に連れられて高野山来山。
周叔迦(中国仏教学院長)も来山。(1039)
11.04 ラマ研究所主催のチベット語講習会は1月開講され、4月来講師の都合で休止のところ再開される。(1041)


2.22 和田性海、大学で講演して「国家の援助」をうけての中国開教を強調する。(1055)
2.-- ラマ研究所、計画中のラマ教叢書第一巻として「ラマ教をかたる」同所・橋本光宝の著を刊行。(1053)
3.25 東京でラマ教事情の紹介のためラマ研究所、講演と映画会。(1059)
4.02 ヂンブラドルヂ(蒙古政府派遣僧)、竹本に連れられ来山。興亜密教学院へ入学。(1061)
5.29 満州国宗教課長・栗原敏は来山し、7月の大東亜仏教青年大会に高野山留学中のセエインウルジを代表として参加することを工作決定。(1069)
5.-- 高野山大学へ東京の真言宗ラマ研究所を移管せよとの声があがる。(1067)
6.16 高野山大学に真言宗ラマ研究所が移管さる。所長に栂尾祥雲が就任。事務所は東京宗務所内に、現地連絡には教学部興亜部があたる。(1070)
6.16 三谷光夫(駐日満州国大使主事)、高野山興亜密教学院を視察。(1072)
6.-- 「大東亜戦争下、密教の飛躍的発展と皇道密教の確立」を目的とする「密教文化研究所」の設立が金剛峯寺・高野山大学の幹部内に具体化。(1071)
7.13 大東亜青年仏教徒会議(7.04〜06)に出席の60名の海外代表が高野山来山。(1074)
8.05
〜06
高野山教学振興会は大学の教科内容の大改革を決定。国体学講座の新設・密教研究所の組織について決議。(1074)
9.16 真言宗ラマ研究所は、高野山に移管されることになり、山上ではじめての懇談会がもたれ、「ラマをかたる」叢書の続刊の発刊が決まる。(1085)
10.12 高野山密教研究所は、大学制度の変更で研究所強化の必要にせまられ理事会が開かれる。(1088)
10.-- 根本澄見(ラマ研究生)、高野山密教学院師伝に赴任。(1086)
12.17 真言宗ラマ研究所主催にて来日中の五台山ラマ活仏貸師との懇談会がもたれ、日華協力につき意思統一がなされる。(1089)


4.04 高野山興亜密教学院へ、智恩院ラマ研究所の本年度卒業生11名来たりて院生と懇談。(1112)
4.30 本日をもって、時報休刊となる。(1114) S21年再刊。
4.-- 興亜密教学院は創立10周年記念として「興亜密教」第1号を発刊。(1112)
4.-- トクシン活仏(S17年第1回蒙彊視察団として来日)は5ヵ年の予定で研究留学のため来日予定(その後のニュースなし。)(1111)


6.01 高野山時報、19年4月より停刊のところ、本日1115号より再刊。(1115)
6.-- 北之内真龍(満州阜新寺)、引揚げて安養院へ仮寓。(1116)