− 平塚宿石仏群 −

 当院は江戸時代、この宿場の中心地でした。当院には当時の遺産が今も多く残っています。これらの石仏群は、当時の宿場の人々の信仰を表しています。青面金剛と呼ばれた石仏で、またの名を庚申(こうしん)さんとも呼ばれました。当時の人々は六十日ごとにめぐってくる「庚申」の夜、この神様が天上に人間の悪口を言いに行くので、そうはさせじと夜中起きてこの神様の見張りをするというたてまえで、村の親睦や休暇を楽しんだそうです。