− 斉藤麗山句碑 −

 斎藤麗山は(さいとうれいざん)は当院檀家・斎藤家の出身で江戸末期に優れた文人書家として平塚宿で活躍しました。この碑は後年、麗山の弟子たちが師匠の遺徳をしのんで墓地がある当院境内に建立しました。碑には次のような意味深い歌が刻まれています。
 「すそはまだ くらきにあけて ゆきのみね」この歌の解釈は通説には、斎藤家目前の東海道から大磯宿を見ると「高麗山(こまやま)」が街道正面に見えますが、この山の冬の夜明け前の景色を詠んだ歌とされています。興味深いのは吉田松陰も学んだという伊豆韮山の代官・江川太郎佐衛門にも同じような歌があり、この場合は富士山で「里がくらい」とは人民の文明開化の度合いを指し、夜明け前(明治維新前)の日本を暗に指していると解釈されています。斎藤麗山も夜明け前の日本を黙考していたのでしょうか。
宝善院 斉藤麗山句碑