これが魚山開発計画の模型です。(写真)曹植は東阿王としてこの地に赴任し、魚山を愛してよくこの山に登りました。後日、曹植はこの地を離れて死んだのですが、この魚山が懐かしく「自分の死後は、必ずこの魚山の麓に埋葬してほしい」と遺言しました。そこで死後二年後、ここに墓を作ったのです。
現在、魚山には総門と城壁風の囲い、アズマヤ程度が作られていますが、開発計画では、今後、曹植を祭るお寺として「子建寺」や、記念館を建設の予定です。かつて魚山頂上に「魚娘廟」がありましたので、これも再建の予定です。全体計画の完成は二〇〇一年で、総予算は中国元七六〇万元であります。(日本円約一億円)
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魚山開発計画を前に、説明する劉魚山博物館・副館長
右となり藤原東寺真言宗宗務総長(参拝団団長) |