参拝団全員に魚山村村長から贈られた、曹植像土偶(黒色陶器)は村唯一の観光土産 |
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曹植は三国時代の有名な歴史・文化人である。史料によると、曹植は魚山で梵天の声の響きを聞き、梵唄(「魚山唄」とも言う)を創作したという。これは、わが国の仏教音楽(声明)の始まりと言えよう。
梁時代、釈慧皎の『高僧傅・経師論』において次のように記述されている。
「仏教の伝来以来、梵語で書かれた仏典を漢語に翻訳したものは数多く存在したけれども、(果たしてそれをどのように音読したらよいのか、世間ではまだわからない情況にあった。なぜ翻訳に較べて音訳が遅れていたかというと)梵語が偶数的な音律を有するのに対し、漢語は奇数音律を基調とするので、このことが音訳上の困難をもたらしていたと言えよう。ところが天賦の語感とあつい信仰心を有していた魏の陳思(曹植)は、魚山において仏のことばを感受し『瑞応本起』という詩文を書いた。その中で彼は梵音を適切に削除し、発音の比較的容易な漢音に音訳することに成功した。その後、この詩文は梵音学習書の模範として普く世間に流布するところとなったのである。その後、梵音の伝播者の人数は三千余人となり、彼と意気投合するものも四十二人もいたという。それから派生したさまざまな派も、陳思が先祖であると言い、彼が仏と通念し、仏の意識を感知しえたと言った・・・。そのむかし、諸天賛唄する際には、すべて韻律を弦楽器と管楽器の演奏によってのみ表現したが、梵唄は当時の |