― 事務局通信 ―
あとがきにかえて
松下 隆洪 (刊行会代表)

 今号は中国・邯鄲市在住の歴史学者・馬忠理先生の論文をお届けしました。内容はご覧になったとおりの力作です。
 私自身は馬忠理先生とは全く面識も、お話ししたこともありません。お手紙で昨年来、数回文通をさせていただいているという事です。その程度の人間関係でどうして先生の論文の翻訳刊行まで引き受けたのか、これも不思議な事ですが、これには次のような因縁がありました。

 十年近く前になるが、我々の宗団、関東・神奈川支所主催の高野山参拝があっての帰路、伊勢神宮に詣でたことがある。
 本殿を参拝し、ぶらぶら檀家一行とバスの集合地点へ参道を帰りかけていると、不思議なお面が、目に飛び込んできた。マスクには前から興味を持っていたが、そのマスクはもじどおり私の目に何か飛び込んできて、どうしてもそれを買っておかなければならないような気がして、買ってしまった。その時に、神宮の土産物コーナーで購入したのが、表紙頁掲載の「蘭陵王」の面である。
 「舞楽蘭陵王」という曲名は知っていたが、実際に面を手にするのは初めてであった。その時は珍しいものを入手できたと、ただ喜んだだけで、その蘭陵王の面は以来十数年、当院客殿廊下に埃をかぶって揚げられていた。(伊勢神宮では今でもこのお面を土産物に販売しており、売価は4,000円だそうである。)以来、あの時なんでこんなお面を買ったのだろうかと、廊下を歩きながら、目の端に面をとどめては、不思議に思うことが度々あった。
 それから、十数年後の平成八年六月二十一日の朝である。その朝、我々は中国山東省魚山参拝を終え、曲阜を発って済南へ向かうためバスに乗車し、バスが今、出発しようとした時だった。昨日、我々を曲阜師範大学から、孔子廟まで案内してくれた、『曲阜・中国国際旅行社』の社長・魏廣平氏が一通のコピーを持って私の席に来た。「私は曲阜のトラさんです」などと、昨日までの冗談ばかりの顔とはうって違った、まじめな顔で・・・
 「北京大学時代の私の恩師である、馬忠理先生のこの論文を日本語に翻訳し、日本で出版してもらえないだろうか」という魏氏の説明を聞きながら、頭の隅で、私は十数年前の伊勢神宮での出来事が昨日の出来事のように思い出された。私は「アアー、そうか。あの日の事はここにつながるのかと・・・」彼の話を聞きながら因縁の糸をほぐすような気がしていた。
 今回の作業が終わる今になって考えると、どうも、魏廣平社長は曲阜にやってくる日本人に手当たり次第、私に依頼したような事を頼んでいたような気もする。しかし旅先の約束で、気軽に二つ返事をしても、だれも彼の願いをかなえてくれなかったようだ。馬忠理先生の私信には翻訳まで魏氏に依頼してあったようだが、結局そこまで当方でやることとなってしまった。私はうまくのせられたような気もするが、お引き受けする気になったのは、魏社長の文革時代の辛苦と関係が有る。
 考えてみると、私が十数年前、伊勢神宮で偶然、蘭陵王の面を買ったのも、今回の蘭陵王の研究論文を初めてわが国に紹介するお手伝いをする事も、魏氏に出会ったのも、偉大な詩人にして、日中仏教音楽の創始者、曹植が取り持った不思議な縁であろうと思う。 なにしろ、私と魏廣平氏が出会ったのは、あの広い中国で、お互いの五十数年の人生の中で、たった二日間の出来事だったのだから。やはりこれは、曹植が取り持ってくれた功徳というほかなかろう。
 なほ、馬忠理先生の経歴はお手紙によると次のようにある。
 「私は、蘭陵王に関する論文をすでに6篇発表し、現在、「蘭陵王・高粛研究」の執筆にかかっております。私は、1964年に北京大学歴史学部考古学専攻を卒業して以来、30数年にわたり文物考古の仕事に従事し、磁州窯と北朝文物考古に関してはある程度の研究成果をあげ、かつて二度にわたり蘭陵王学術討論会を組織・開催いたしました。現在は、邯鄲市文物処研究員と河北省文物考古学会理事を兼任し、また磁州窯研究会副会長、城北朝史学研究会々長等も務めております。」
 先生の経歴をうかがい、驚いたのは、先生が北京大学を卒業されたその頃、私もしばらく北京にいた事を思い出した。北京のどこかで先生とお会いしていたかもしれないのだが、いまとなっては夢のまた夢だ。馬忠理先生とは手紙のみの友好だったが、何時かお目にかかれる日を楽しみに。
 終わりに、私自身は、中国古代舞楽の研究については門外漢ですので、多分誤訳もあると存じます。しかし入手できない「完全」より、入手可能な不完全の方が役に立つということで御寛恕ください。全くの言い訳ですが。                                            1997年3月21日
邯鄲(かんたん)市:中国河北省南部の都市。春秋、戦国時代の都。交通の要地で、商業が栄えた。(広辞苑)

 次号は、魚山博物館の劉玉新先生が執筆され、中国で刊行されている唯一の魚山の総合案内書といえる『魚山曹植墓』をお届けします。本書の翻訳はすでに終わっていますので、早い時期にお届けできると思います。お楽しみに。
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