アメリカ在住の国際政治学コメンテーターである藤原肇氏(日本国内で多数の著書が出版されています。google検索ではヒット数では36,300件の超有名人です。)が、昨年四月に拙宅を訪問されて、雑談したときに、「空海は遣唐船で中国へ渡る前に、一度中国へ行ったことは考えられませんか」という質問があった。突然だったので的確な返答は出来なかったが、「その可能性はありますね。」と答えておいた。
藤原氏はこの問題で私と対談したい様子であった。その後、私が思い出したのは松下隆洪氏(東寺真言宗の宗会議長)がかつて空海二度渡航説を主張していたことである。そこで早速、平塚市の宝善院住職である松下隆洪氏に手紙を出すと、「空海の“謎”の風景―弘法大師二度渡航説」という一九七七年(昭和五二年)十月十五日の『六大新報』に掲載された論稿のコピーと、これを記念して製作した大師像の写真が送られてきた。その大師像は「ふたたび大師の像」と言い、中国・五台山より日本を望見しているもので、宝善院本堂前に今も立っている。
松下氏は空海に対する疑問として「空白の七年」が何故できたのか、無名の一学僧が遣唐使船という国家的渡航法で入唐するチャンスを得た理由、帰国後の大師の世間への出現と立身出世、大師の中国語の能力、二ヶ月余りの海上漂流で大師だけが心身ともに健康な状態だった理由などをあげてそれに解答している。 |
平塚市の宝善院本堂前に立つ「ふたたび大師像」
五台山より日本を望見する弘法大師 |
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