@ |
『北斉書』巻16、列伝8。中華書局1972年版(以下同) |
A |
同@、『北斉書』列伝第三、巻11、第147頁、蘭陵王高粛伝。 |
B |
『中原文物』1988年、第2期、第21‐25頁。筆者が書いた『北斉蘭陵王高粛墓及び碑文略述』という文中に、高延宗の『五言』詩文が載せられている。また、『河北地方誌』1988年第四期にも、筆者の『蘭陵王入陣曲の失いと復帰』の一文がある。 |
C |
日本の『故事類苑』、神宮蔵版、明治42年版。楽舞部六、唐楽曲上(以下同)。中に『体源抄』巻五と『教訓抄』がある。 |
D |
付芸子の著作『奈良春日若宮の神楽と舞楽』と『舞楽蘭陵王考』の二文は、『白川集』に収められている。 |
E |
常任侠の『唐時代に日本に流入した音楽と舞踊』の一文は、『説文月刊』の合訂本第4巻、第805-816頁に収められている。 |
F |
Cと同じく、『故事類苑』による。 |
G |
日本、田辺尚雄の著作『中国音楽史』(1929年)、高楠順次郎博士の『奈良朝音楽林邑八楽』(1907年)と大規如電の『舞楽図説』(1905年)は、何れもこういう観点を持っている。 |
H |
Eと同じく『説文月刊』にあり、常任侠先生はこういう観点を持っている。 |
I |
任半塘の『唐劇弄』、作家出版社1958年(以下同)。第三章劇録、五、「蘭陵王」第523頁、第11行。 |
J |
同I、第516頁の第9-17行と第517頁の2行。 |
K |
『文物』、1984年の第4期『河北磁県東魏公主墓発掘簡報』による。筆者は指導する一方、発掘作業にも直接参加した。 |
L |
『考古』、1979年の第3期、『河北磁県北斉高澗墓』。同じく筆者は発掘作業に指導、参加した。 |
M |
『考古』、1990年の第7期、『河北省磁県湾北朝墓』中国社会科学院考古研究所と河北省文物研究所によって発掘された。 |
N |
関文宣帝高洋の武寧陵の位置について、詳しくは『城北朝史研究』に載せている筆者の「東魏北斉陵墓地域考」という文がある。河北人民出版社1991年出版。 |
O |
『文物』。1983年第10期。『北斉書』巻15、列伝七。第196-197頁。 |
P |
『考古』1977年第6期。「河北賛皇県東魏李希宗墓」。 |
Q |
『考古』1992年第1期。「河南省安陽両座隋墓発掘報告」。 |
R |
『洛陽出土文物精粋』、朝華出版社1990年版。第94頁、第82頁にカラー写真の唐三彩文吏など陶製人形がある。高さ112センチ、1981年龍門東山安菩夫婦の墓である。 |
S |
『中国モンゴル史学会成立大会記念集刊』、1979年、中国モンゴル史学会編印。「中国北方民族とモンゴル族の源について」内モンゴル大学、亦隣真、第59-60頁。 |
(21) |
『隋書』、音楽誌(中)、巻14、誌第9、第330頁。中華書局1973年版。 |
(22) |
同(21)。『隋書』、音楽誌(下)、誌第10、巻15、第376頁。 |
(23) |
同I。『唐劇弄』、五の蘭陵王。第518頁、第1-4行。 |
(24) |
『旧唐文』。巻28、誌の第八、音楽一、第1047頁。第6行の1、「正曲」と「送声」中華書局1975年版。 |
(25) |
『全唐文』。第三冊巻279、第2826頁 |
(26) |
『楽府詩集』、宋郭茂清、中華書局1979頁11版、第86巻、雑歌謡四、第1212頁、白居易の詩。 |
(27) |
『文物』1987年、第5期、第77-82頁。「阿斯塔那336号墓から発掘した五個の劇弄の陶製人形について」。作者呉震。 |
(28) |
同Iの『唐劇弄』。五の蘭陵王、第517頁。第10-13行。 |
(29) |
『王国維遺書』、第十五冊、「唐宋大曲考」第33-34頁。上海古籍書店、1983年版。 |
(30) |
同Cの『故事類苑』の(中)。また『三代実録・41陽成』第377頁の第3行と7-10頁。 |
(31) |
同Iの『唐劇弄』の五、「蘭陵王」。第511頁、第4-5頁。 |
(32) |
同(29)。『王国維遺書』中の「唐宋大曲考」による。第35頁、第9行。 |
(33) |
同B。『中原文物』、1988年、第2期、第21-25頁。 |
(34) |
日本の『舞楽』、奈良春日顕彰会、日本文化会など編集1984年出版。 |
(35) |
同E。『説文月刊』、常任侠の文による。 |
(36) |
唐時代崔令欽の『教坊記』の「唐人説」第七冊、第四集の五。それから、任半塘の『教坊記箋訂』中「制度と人事」、第37頁、第7-10行。 |
(37) |
『中国民族関係史網要』、中国社会科学院出版社1990年2月版、第2編の六の(2)、第312頁1-2行。 |
(38) |
『教坊記箋訂』、任ニ北(任半塘)の「制度と人事」、第38頁、第2-3行。 |
(39) |
同(21)。『隋書』、「音楽誌」第九、第14巻、第378頁。 |
(40) |
同(36)。 |
(41) |
同I。第512-513頁。日本の田辺尚雄の『中国音楽史』中の「羅陵王」一節による。 |
(42) |
唐時代杜佑の『通典』、第146巻、楽典64、第15-15頁。また、『旧唐書』第29巻、誌第九、音楽誌第2、第1073頁。 |
(43) |
『芸術研究』、1989年、第4期(内部刊物)、「戯劇論壇」第28頁。 |
(44) |
同(29)。『王国維遺書』、第十五冊、「宋元戯曲考」、第6-7頁。 |
(45) |
『新唐書』、中華書局、1975年出版、巻218、沙蛇伝第6153頁、第4-8行。 |
(46) |
同S。『中国モンゴル史学会成立大会記念集刊』中に「中国北方民族とモンゴル族の源について」、第59-60頁。 |
(47) |
同(37)。第二編、三の(3)、2。第248頁、第12-17行。 |
(48) |
『魏書』、中華書局、1974年版(以下同)。巻19上、列伝七上、「汝陰王天賜伝」、第450頁、第3行。また、『中国民族関係史網要』第248頁、第12-15行。 |
(49) |
同(48)。『魏書』巻103、列伝91、高車、第2316頁第1-2行。 |
(50) |
同@。『北斉書』、帝記第二、神武下、巻二、第23頁、第10-11行。また、『楽府詩集』、巻86、第1212頁。 |
(51) |
同S。『楽府詩集』、第1212頁、第12-15行より第1213頁の第1-5行まで。 |
(52) |
同(48)。『魏書』、巻103、列伝91、高車、第2309頁、第14-15行。 |
(53) |
『中国古代北方各民族簡史』、内モンゴル人民出版社1977年版(以下同)。第二章第4節。第117頁第5-10行。 |
(54) |
同(53)。第3章、第1節の(一)。第119頁、第10-19行。 |
(55) |
同(53)。第119頁、第14-15行。 |
(56) |
同(24)。また『旧唐書』、198巻、列伝148、高昌、第5294頁、第1-2行。 |
(57) |
『新彊考古30年』、新彊社会科学院考古研究所編、新彊人民出版社1983年版、第14頁。 |
(58) |
同@。『北斉書』、巻16、列伝8、段栄の息子である段伝、第211-213頁より。 |
(59) |
同(21)。『隋書』巻14、音楽誌第九。第345頁。また、『周書』、中華書局1974年2月第2版、巻五武帝上、第71頁と75頁。巻九、列伝第一皇後、第142-143頁。 |
(60) |
同C。『故事類苑』中の「教訓抄」、第376頁、第6-10行。 |
(61) |
同(38)。『教坊記箋訂』中の「制度と人事」、第38頁、第13-15頁。また『旧唐書』、巻37、誌17、第1376頁の第8-9頁。『楽府誌集』、巻86、第1215頁。 |