− 永代供養ってなんだろう?よくある疑問 −


 『県民生協やまゆり』の女性会員約30名が、永代供養の勉強のために当院にこられました。30名の主婦の方々というのは、おられるだけで、それなりに結構な迫力でして、いろいろ質問をいただき住職もタジタジとして、以下のようにお答えした次第です。

県民生協やまゆり 永代供養勉強会のしおり
講師 宝善院 住職 松下隆洪



答え: 墓地を取り囲む社会的環境が激変しているからです
 日本の"急激少子化"は「人類史上、経験が無い」とまで言われています。

 現在わが国では、子供がいる世帯は全世帯の3分の1です。3分の2は子供なしの世帯で、一世帯の子供の数は、1.2〜1.3人です。これからの子供たちは一人っ子どうしの結婚にならざるをえません。もしこのまま一人っ子どうしの結婚が三代続くとどのような未来が待ち受けているのでしょうか。恐ろしい未来です。

 単純な算数です。一人っ子どうしが結婚するといずれ親世代は死に絶え、子供世帯が残りますが、その世帯数は親世代の2分の1になります。2分の1となった子世帯も子供は一人っ子どうしの結婚だとすると世帯数は、最初世代の4分の1となり、その次世代も一人っ子結婚をすると総世帯は最初世帯の16分の1になります。

 これを政府総計に当てはめると次のようになります。2005年の日本の全世帯数は約5000万世帯で、1世帯が平均2.5人とすると、総人口は1億2500万人で現状人口の近似値となります。さて5000万世帯の16分の1は312万世帯に減少し、1世帯2.5人の計算で総人口は780万人に激減します。この人口数はなんと800年前、鎌倉時代の日本の総人口に逆戻りです。

 1億2千万人の人口が16分の1の780万人となって、果たして国家や民族を持続できるのでしょうか。さらにはいなくなった1億1千万人のスペースを隣国人が占領し、チベットや新疆のようになるのは目に見えています。このような民族破壊にもなるような事態まで、この国の偽政者たちは何をしてきたのでしょうか。天文学的国民の資産・税金を簒奪し、コンクリジャングル、高速道路、月からも見える巨大釣り橋など、天下り資産と利権を増やしてきました。

 総人口が16分の1になれば、会社も、マンションも、大学も、高速道路も、なんでもかんでも国家のすべての前提が消失してしまうでしょう。その時の対策を今らか考慮することじたいナンセンスです。国家や文明が破滅するかもしれない事態に、我が家のお墓がどうなるかなんて問題以前の問題と言えましょう。わが国では今日の不況をリーマンショックからの世界金融恐慌に原因説明しますが、実は本当の原因は、破壊的人口減少がすでに始まっているのです。自動車産業の不振を若者の自動車離れに見るのも、まやかしです。若者の絶対的減少が真因です。

 平成26年8月末(2014年)衝撃的なニュースが、事実の衝撃に比べては小さく報道されました。 「超一流」予備校で知られた「代ゼミ」がほとんどの校舎を閉鎖、(全国27校のうち20校を閉鎖し全国模試も廃止)するというニュースです。 少子化が何となく進んでいるというのは国民共通の認識にしても、実はとんでもない事態が進んでいるまでの感触はなかった。このニュースは、エポックメイキング。 ぬきさしならぬ所まで日本の少子化は来ていることの象徴ではないか。



 住職のこれらの見解を、もう少し学問的にも勉強されたい方は、ポール・ウヲーレス著『人口ピラミッドがひっくり返るとき 高齢化社会の経済新ルール』高橋健次 訳 草思社 をご覧ください。

 さらに深刻なのは、無縁墓地の増加が、少子化という数だけの原因で増えているのではないと思える事態が進行していることです。

 国民の中に広がる、ぼうようとした不安、国家にたいする不信、指導者にたいする不信、組織にたいする不信が国中に渦巻いています。わが国で進行している現象は、「責任者が不在で、関係者ばかりの国家」になりつつあることです。国じゅうが「市役所化」現象ともいうべき事態が進行し、「責任者」のいない、「関係者」ばかりの「責任者不在国家」になりつつあります。国家にたいする国民の不信感は、墓地のみならず、あらゆる将来についての不安感につながっていると考えられます。
 さらに、若者の中に広がる、“不合理国家”にたいする不信は、もう一つの深刻な少子化=「出国少子化」(「出生少子化」に対比する宝善院住職の造語)を生んでいます。子供が生まれないのみならず、偏差値の高い子供から出国してしまう、出国少子化現象が起きているのです。2、3月、ニューヨ−ク〜東京間のフライトで見た大量の日本人学生を大学生の卒業旅行かと思ったら、実はニュ−ヨ−クでの入社試験の帰路であった事に驚いたと、雑誌『フォーブス』の編集長が書いておられるほど、若者達が出国し始めています。(雑誌「Forbes(フォーブス)」(元)東京支局長ベンジャミン・フルフォード…代表的な著書に「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日(光文社700円)」、日本人が知らない日本人レポート、このままでは日本の未来はアルゼンチンになる!!)

※住職の雑感、“これからの日本人は2種類になるだろう”
 『日本にしか生きられない日本人と、日本にも生きられる日本人』の2種類の日本人に分化していくだろう。前者は単なるタックス・ペイヤー・“税金お支払いロボット”で、人生は悲惨かもしれない。後者はニューヨークにマンションを所有し、ニュージーランドには別荘をもち、日本でも生活できるというような人々。これからの若者はきっと、支払う税金と受け取るサービスの良、不良で気軽に国家を選択し、偏差値の高い子供から不合理国家から出国していくだろうとおもえる。あるいは老後の年金生活を海外ですごす人々もふえてくる、等々の理由で、日本に残るのは「ジジイとババアと市役所だけ」なんてことになるかもしれない。「墓」を守ってくれる人間そのものがいなくなってしまうのだから、従来形式の墓地など、とても持続出来ないのは自明の理。 まさに「下流社会」と「希望格差社会」の時代です。



答え: まもなく化石状態です
 子供がいない、結婚しない、一人娘が遠くへ嫁に行ってしまった、一人息子が一人娘と結婚し、嫁の実家に同居してしまったなど、後継者が無い墓=『無縁予備軍墓』が急速に増えています。墓参も無く墓地も次第に荒れ果て、法事も、寺への付け届け(お布施)もいつかなくなり、施主の住所すら不明という檀家が年々増えています。

 「家」制度から、国民年金、墓にいたるまで、これを維持するには、全国全世帯に、最低三人の子供がいなければ維持不可能なのです。国民年金もお墓も、実は同じ絶対条件の上で成立しているものなのです。人類史上最悪といわれる少子化の前に、従来のお墓は、文字通り風前の灯です。

 このような数字上の原因より、実は本当に深刻なのは次の現象ではないかと思います。墓を支える精神風土が、子供たちから急速に失われつつあるのです。日本の学校教育の中には、先祖崇拝や墓参を教える教育がほとんどありません。お盆やお彼岸の意味を教育されずには、先祖を敬う子供は育ちません。戦後一貫して行われてきた“先祖崇拝否定教育”の大成果ともいえます。まさに日本は今、鶴田浩二の歌のように「西も東も真っ暗闇」化しつつあります。

(このような価値観を日本人がなぜ選択したのか、あるいは、意図的に選択させられたのではないのか、についての住職の見解は当院ホーム頁から、住職論文コーナー「鎮護されざる国家への道」を参照してください。最近のアメリカによる日本人改造計画については、『拒否できない日本』(関岡英之・文春新書・700円)を参照してください。)



答え: 残るお墓と檀家は、三分の一くらいだろうと思われます
 当院の敷地内には約500戸の墓地(家別墓地)があります。住職の感想からいえば、先代住職遷化の年齢に私がなる約10年後、これらのお墓のうちはっきりした形で後継者が残っているのは、三分の一くらいではないでしょうか。その根拠は、現状檀家の三分の一は後継者がはっきりしません。子供がいない、結婚しない、孫が娘一人などの理由です。これらの家族に重なるように、『精神的無縁予備軍』ともいえる檀家グループが出現しています。先祖供養やお墓を大事にするという教育を親から受けていないようで、ほとんど墓参もしない家族集団が現れ始めています。これらは寺側の努力とは無縁に存在し始めています。これらの家族の墓地がいずれ無縁墓地になるのは、時間の問題と思えます。

 現状墓地の三分の一くらいしか檀家が残らないだろうという住職の予測は、当院だけの数字ではなく、全国共通の数字と思えます。一説には八王子市郊外に広がる、都営霊園の既に三分の一が無縁墓地で、税金で掃除しているから「実態無縁墓地」がわからないのだという話を聞いた事があります。

平成○○年3月21日午後4時(春のお彼岸の中日)
ある市営霊園の無縁墓地化率を調査してみました。




答え: そのとおりです

 きつい答えですが、そうお答えする以外ありません。お墓は少なくとも親・子・孫の三代、百年もってこそ墓といえます。「嫁ももらわず、嫁にも行かず、子もつくらず」のこの日本で、あなたの家だけ百年持続する自信がありますか。おありになると言うなら、どうぞそのようにしてください。人類史上体験した事のない、少子高齢化の波は、とても一家族レベルで対応出来る問題ではありません。国家や民族の将来が危惧される、このような問題こそ、国や行政が早くから取り組むべきでしたが、先述したように「国じゅう市役所・社保庁化」現象の中、すでに手遅れです。年金は不安が増すばかり、介護保険もどうなるか心配なこれから、大切な老後資金を、あやふやなお墓などに投資するのではなく、ご自分の老後の為にとっておくべきです。お墓の事は、信頼出来る寺を見つけ、その寺の永代供養システムにまかせるのがいちばんです。

 墓地を持たないというのは、今までの日本文化からは考えられない事ですが、バブル崩壊後、この国では考えられない事が山のように起きております。お墓を持たないというのも、これからの日本人の生き方の一つだと思います。だいち、貴方の知るお寺や霊園だって、この少子化の中、はたして100年後に残っているかどうか怪しいものです。そういう事を考え、何か対策を考えているような寺を見つける事です。ボーットしていては、寺だって生き残れない時代です。(霊園の倒産が全国規模ですでに始まっています。さらには経営困難寺院の自然消滅が過疎地から始まり、今は都市部で後任住職のなりてがいないとういう形で顕在化中です)



答え: 次の4種類くらいと思います
A 合葬式の埋葬墓へ遺骨を埋葬し、その場所に記名したプレート等を残す方法
B 納骨堂などに一定期間安置後、上記の合葬墓へ埋葬する方法
C 海、山、などにお骨をまくか埋葬する方式(散骨)
D 宝善院様式(永代供養墓と永代供養の2本立て方式になっている)
永代供養墓と永代供養とは本来別のものです。永代供養墓とは、あくまで遺骨を埋葬したり納骨する場所を、とりあえずそのような名称で呼んだもの。お墓の趣旨からいえば、すべての墓地は「永代供養墓」なのです。これとは別に「永代供養」とは、故人、あるいはその家のお位牌が本堂の本尊様のそばににまつられている事。さらに本尊様の前には、日めくり式『大過去帳』(1月1日より12月31日まで、全霊名簿が日付順に記載された過去帳)が置かれ、一年一度の祥月命日には、すべての故人が住職の供養を受けられるようになっている。これを「永代供養」とよびます。このように永代供養墓と永代供養のそれぞれに、対応施設がなければならないのです。「永代供養墓」と呼ばれる墓に埋葬しただけでは、永代供養の保証には全くなりません。永代とは永久という意味です。「永代供養」は、お寺にもそれなりの覚悟がいる事業なのです。

 宝善院方式の永代供養の特色
  1. お位牌をつくり、故人の戒名もしくは、俗名を記載する。お位牌の下部に分骨をおさめ本堂に安置する。お位牌には分骨を納めてありますので、室内墓にも相当し、本堂に安置してあるので、日常、住職の供養を受けられる。
  2. 残りのご遺骨は合葬墓(永代供養墓)へ埋葬する。
  3. インターネットにより外部からのお参り(萬霊塔観音廟)ができ、家族からの供養を受けられる。
  4. 本堂本尊前に『大過去帳』がおかれ、個人の記録が記載されている。毎日その日の頁が開かれるので、一年一度は必ず住職の供養を受けられる。大過去帳には、宝善院に残る過去六百年、六千数百名の過去霊名を一月から、十二月まで命日順に整理、記載してあり、毎日の供養のテキストになるもので、3年ごとに書き替えられます。『大過去帳』の製作・保存は永代供養を提唱する寺院の絶対条件です。



答え: 下記の点をチェックしてください
イ、 価格や、みてくれだけで選ばない事がいちばん

ロ、 その寺の本堂に、『大過去帳』が用意されていますか?

 しっかりした寺院では、その寺が預かっている故人の供養が毎日行われています。そのために、住職がその日の故人を読み上げるテキストともいうべき、日めくり式『大過去帳』というものが置かれています。その寺の全故人が1月1日から12月31日まで、365日に分類され記録されています。毎日その日の頁を開き供養するわけです。当院でも昔は毛筆で和紙を綴じた分厚い過去帳を使用しておりましたが、永代供養の発足にともないコンピューターで管理、プリントするように整理しました。当院では過去600年6500名の故人をご供養しておりますが、これ以上はとても手書きでは出来ないと判断し、コンピューターで管理するようにしました。今から30年以上昔の事です。このような事前作業がなされているかどうかも、永代供養選別の基準です。

*参考までに
 当院の永代供養は平成2年に発足しました。準備期間に、発足以前10年の時間をかけています。準備期間の10年は『大過去帳』整備のための時間でした。当院の本堂に安置されている『大過去帳』は、さかのぼること600年、約6500人の故人が記載されています。従来の寺の過去帳は時代順に記載され、家別過去帳はありませんでした。そこで、従来の時代順過去帳に記載された故人がどこの家の仏か、どこの墓地に埋葬されているかなど墓地墓石、過去帳を可能な限り調査し、約6500人の故人を、1月1日から12月31日までに記載し、あわせてコンピューターを利用して、整理し直しました。当時はパーソナル・コンピューターもNECから出始めた頃で、このような作業に約10年かかり、平成2年に当院永代供養の会が発足しましたが、当時永代供養を提唱する寺院は、全国にも数ケ寺でした。永代供養が雨後のタケノコ状態の今日、時代の変遷を感じます。

ハ、 永代供養とは永久供養という意味です。その寺が言う「永久」とは何を指すのか、事前に質問してください。答えられないようならやめておくべきです。

人間は他人に永久などということを約束できるわけがありません。なのに今まで、永代供養入会者から、 「住職はどうして永久などという時間を約束できるのですか」? と質問されたことは一度もありません。こんな大事な事を簡単に信用してはいけません。私がもしそのような質問をされた時には、当院では次のようにお答えしています。(質問されませんので、質問されたつもりで住職が先に説明します) 「もちろん永久などの時間を約束はできません、しかし当院ではこのような過去帳を作り、当院がお預かりするすべての仏様を、600年前までの仏様の供養は致しております」 とお答えします。ですから当院の言う「永久」とは600年ということになります。毎朝その日の頁が開かれ、住職が毎朝のお勤めに使用するための過去帳が『大過去帳』です。(3年ごと更新)  もしこのような『大過去帳』の用意がされていない永代供養とは、皆さんはどうやって信用するのでしょうか、『医者選びも養生のうち、寺選びも信心のうち』です。永代供養を価格・みてくれだけで選ばない事です。

ニ、 会計システムは信用出来るか

相手の組織を見極める簡単な方法は、その組織の会計がどの程度しっかりしているかで簡単に分かります。お寺の信用度もつまるところは、その寺の会計システムの信用度です。寺の本堂がどれ程大きいかや、敷地がどれ程広いかなどが何の当てにもならなかったのは、今までに倒産したたくさんの銀行が良い例です。まずはそのお寺の会計がしっかりしているかどうかです。しかしイチゲンさんの皆さんが、会計システム全体の説明要求などできませんし、寺にも説明の義務はありません。そこで最低、次の事が守られているかどうかチエックします。
  1. まず第一は、あなたが支払う永代供養料がお寺の会計帳簿にちゃんと記載されるかどうかの最低保証として、領収書、会員証明書などをだまって発行してくれるかどうか。支払い名目をとわず簡単に領収書を発行してくれるかどうかです。してくれない場合はねばらずに、気楽に別の寺を探しましょう。
  2. 自分が支払ったお布施についての明細を、十数年分でも、何時でも開示してくれるかどうか。してくれない場合はねばらずに、気楽に別の寺を探しましょう。
  3. いずれの方式でも年会費の有無を注意しましょう。永代供養と年会費はそぐわないからです。できれば年会費のない永代供養を選びましょう。
  4. 重要な判断
    基本費用が個人別なのか、一世帯別なのかにより、最終支払額に大きな差が出ます。当初は安くても一軒のお家から二人、三人その都度入会金を支払うとなると、結局高くなる事があります。出来れば一世帯で入会出来る、永代供養を選びましょう。