ぼた餅地蔵さまの由来

今からおよそ四百年前、江戸時代の平塚は、東海道五十三次のなかでも、たいへん貧しい宿場でした。宝善院をはさんで東西二キロ、人口はおよそ二千五百人、宿場ぜんたいでも三百戸ほどの小さな村です。人々は、わずかな田畑と、行き交う旅人からのいくらかの収入で、細々と暮らしていました。土地の多くは砂地で、お米はほとんど穫れません。食べるものが足りないことは、人々の暮らしに、いつも影を落としていました。
なかでも、いちばんの犠牲になったのは子どもたちです。冬になると、平塚特有の冷たい西風が、容赦なく子どもの命を奪っていきました。
貧しさのために、たくさんの子を育てることもできませんでした。やむなくお腹の子をあきらめた女性たちは、冷たい川に身を浸し、声を殺して泣いたといいます。その悲しみを、誰かに打ち明けることもできません。交通の手段もなく、遠い実家に帰ることも、手紙を出すことすらかなわない時代です。行き場のない哀しみを、いったいどうすればよかったのでしょう。
わが子を失った女性たちは、わずかなお金を持ち寄って、一体のお地蔵さまをつくりました。その名を「ぼた餅地蔵」といいます。あまりの貧しさに、ぼた餅さえ口にできなかった村の人々が、せめて亡くした子に、一度でいいから、ぼた餅をお腹いっぱい食べさせてやりたい——そう願って付けた名です。
それから四百年。どれほど多くの女性たちが、このお地蔵さまに手を合わせてきたことでしょう。声にならない哀しみを、ぼた餅地蔵さまは、ただ静かに受けとめつづけてこられました。いまも宝善院の境内に、お地蔵さまはいらっしゃいます。どうぞ、お参りください。
ぼた餅地蔵さまへのお参り(水子供養)のご案内は、「ご法事とご供養」のページにてご案内しています。


